教会での終活ー召天の備え

   2024年10月18日

ラテン語で 「Memento mori. メメント・モリ」という言葉があります。死を忘れるな、という意味です。

リンク先の山下太郎先生の記事に詳細がありますが、これは「他人の死を忘れてはならない」という意味ではなく、「『自分がいつか死ぬ身である』ということを胸に刻め」という意味です。

 

北千住教会では、信徒の方、礼拝に参加している方と一緒に「死について」考え、語ることを大切にしています。

それは聖書に生きることや死ぬことについてたくさん書かれているからでもありますが、「死について考えること」は、今与えられている生ーこの世の中での時間ーの大切さや意味を知ることにもつながるからです。

 

死について考えることを怖いと感じる人もいますし、病気を通して本気で人生や生活の最後を急ぎ整え始めている人もいます。

忙しい日常の中では先送りされがちな話題でありますが、教会の中で、生と死について語ったり、牧師と1対1での相談などを通して深めることもできます。

 

よく寄せられる質問は大きく分けて2つあります。

「聖書では死ぬことや、死んだ後についてなんとかいてありますか(なんと教えていますか?)」という、学問的・哲学的な問い。もうひとつは、自分は家族や親族もなく(あるいは連絡を取り合う関係ではない)、今は元気なのだけど、この先どうなるのだろう、死ぬ時はどうなるのだろう・・教会は自分の最後の居場所になりうるものでしょうか?という問いです。

 

どちらの疑問についても、教会は静かに考え、答え(光)を見出す場になれたらと思っています。

ダウンロード
書式「召天の備え」2024年10月版
自分の終末期に備えて、記入するシートです。パスワードがかかっていますので、入手希望の方は牧師に一度ご連絡ください。印刷したものは教会に備えてあります。何度でも書き直し・再提出が可能です。 納骨の予約申し込みは別の説明書・資料があります。
召天の備え_20241018-保護済み.pdf
PDFファイル 258.0 KB